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善悪の悲願-古城十忍・ワンツーワークス

 

  こんばんわ。3度目の更新は昨年11月末に観たお芝居についてです。

 

  場所は中野ザ・ポケットという小劇場で観劇しました。私の通っていた大学の先輩からご招待を頂き、観に行く機会を設けました。簡単に彼の説明をすると、つかこうへい劇団を経て、蜷川幸雄劇団に入団し、蜷川幸雄さんの死と共に退団し、今はフリーランスで俳優をしている方です。お芝居では標準語ですが、普段の話言葉は関西弁でとても気さくな方です。

 

  記憶が薄れてきているので、形に残したいと思い、ブログの記事にする事に致しました。

 

 お芝居のテーマは日本の死刑制度についてです。  死刑執行人である看守とその死刑囚、被害者家族とのお話。死刑執行人の看守の心理描写や、死刑囚の環境と心境の変化

場面転換に行われるスローモーションのムーブといった演出、死刑囚が首を吊られた後の縄の動きなど、とても細やかに計算されていて魅了される作品でした。

 

 SNSを含むインターネットの場面であまり政治的発言や自論を語るのは好みではないのですが、お酒の席や友人との食事の機会でもそういった話は避けつつある昨今、この場を借りて私の考えを書いていきたいと思います。

 

 まず、死刑制度には反対です。

 

 例え人が人を殺めたとて、その人を裁く権利が他者にあるのでしょうか。ましてや

三人の看守のうち、一人のボタンが死刑囚の首縄を落とすボタンだというアナログな処刑方法。そのボタンを押すことが貴方にはできますか?

 終身刑で十分なのではないのかと私は思います。刑務所の中でも仕事や社会貢献はできますし、改心の余地はどんな人間にもあります。

 仮定をします。私の家族が被害者だったとしたら。私は確かに相手を憎むでしょう。ですが、死んで詫びて欲しいなど微塵も思いません。

 次に親愛なる人が加害者になった場合。これに対しては下記のように思います。

 

 安楽死・または尊厳死を推奨し、自ら死を選んで欲しい。

 

 死刑制度に対しては反対ですが、安楽死尊厳死に対しては認可されて欲しいと思っています。この死生観、実は10代の頃から考えていて、今もなお変わっていません。将来日本で認められなければ、オランダに移住したいと考えていました。

 その過程で尊厳死協会に入っていた祖父が母の意向で延命治療を施され、その変り果てた姿を見たときに涙しましたし、改めて生死について考えました。

 後期高齢化は止まらないし、死に方を悩んでいるご老人も多いのではないでしょうか。けして闘病している方々へ向けてのメッセージではありません。生きたいという活力はかけがえのないものですし、愛する人には長生きして欲しいものです。ですが、死期を自ら選べるならそっちのがいいんじゃない?っていうドライな意見です。苦しまず、眠るように死ねたらいいのになと思います。

 

 最近の話題でもないですが、私は、ああ素敵な最期だなと思えた方がいます。故川島なお美さんです。ワイドショーなんかではまだ若いのになんて言われがちですが、私はなんと美しいのだろうと感じました。抗癌剤治療をせず、民間療法で出来る範囲で抗い、病に侵されたとしても彼女はとても憧れる最期でした。またそれを受け入れてくれたご主人様も器は計り知れないほど大きいと思いますし、本人の意思を尊重してくれる心の強い素敵な男性だなと感じました。

 

 2度目ですが、決して闘病してる方への負のエールではありません。

 

 ただ、自分の死期は自分で悟るそんな哲学があってもいいのではないでしょうか。

最初の死刑制度から話の論点がズレてしまいましたが、私の中の打開策がここなのです。人を殺める気があるならそんな人は自ら命を絶てばいい。それが極論です。

 読んでくださって有難う御座います。興味がある方はいつか語らえる場所があればいいなと思います。